としくにの渋家とか会社とかいろいろある

渋家とか会社とかいろいろある

僕が死んでも会社や渋家は回るか?

三週間前くらいにインタビューを受けて面白い質問をされた。

 

あなたが死んでもあなたがいるコミュニティ、渋家、会社は回ると思いますか?

 

僕はなんとなく回らないと答えた。
それについてここ最近ちょっと考えてた。

 

回らないし、回らなくてもいいと僕は思ってる。
それは他の人間にも言えることだ。
僕が面白い、または凄いとか尊敬してるとか才能があると思う人間を集めて、集まって、または僕も集められて、僕がいるコミュニティは成立している。
他の人間がどう思っているかはわからないが、僕がいるあいだはこの大きなコミュニティは回し続けようと思う。これは自信ではなく覚悟に近い何か。

 

きっと僕がいるこのコミュニティは他の会社やコミュニティに比べればとても危うく絶妙なバランスで保たれているように見えているんだろう。それは事実、そうだ。

 

僕は自分がいるコミュニティをある意味バンドや劇団のように捉えている。
そこにいる人間がやりたいことを、するべきだと思っていることを会社というシステムをつかって社会に接続をしてる。

 

まあ難しいことはよくわからないが僕は会社とは本来こうあるべきものであると捉えている。浅い知識の中、会社のルールを知れば知るほど、昔に会社という概念を作った人たちが今のようなコミュニティを成立させるために作ったようにしか思えない。

 

10年残っているコミュニティ、会社はとても少ない。5年ですらほとんどない。
僕は少なくとも自分が生きている間は残して行くだろう。でもそれはだれでも残していけるような万能なシステムではなく、どこまでも人力でそこにいる人間頼りで、いろんな才能にもたれかかったものになんだろうなと思う。

 

もし自分が死んだとき、これを引き継ぐような人間が現れたらぜひ好き勝手に、ぜひ無茶苦茶に潰したり変えまくって欲しいと思う。思想も信念もなにも引き継がなくていい。資本のみでいい。勝手にしてほしい。

 

そういう意味でもし僕が死んだら
今いるこのコミュニティは回らないし、回らなくてもいいと思っている。

 

 

ふんわりまとまったからふわっと書いた。